世論誘導を謀る読売新聞

また読売新聞が,非常にしょーもない社説を書いておりました.
COP13(国連気候変動枠組み条約締約国会議)の終了についてです.
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20071215ig90.htm

COP13 なんとか行程表は採択されたが(12月16日付・読売社説)

(前略)
 日本は、米国を新たな枠組みに取り込むため、数値目標を現時点で持ち出すことを控えるよう主張し、それが功を奏した。今は、ともかく今後の議論の土台を作り上げることが肝心だ。その意味で、バリ会議はなんとか成功したと言っていいだろう。

しょうもない...日本はアメリカの顔色をうかがうことで,むしろ世界を敵に回しつつあるくらいなのに,それの言い訳がこんな感じです.

他紙を見てみます.

朝日新聞
http://www.asahi.com/paper/editorial20071216.html

脱温暖化会議―国別の義務を引き継ごう

(前略)
 急がせたのは、科学者たちのメッセージだった。

 「気候変動に関する政府間パネルIPCC)」の報告書によると、温暖化の悪影響が地球全体に及ばないようにするには、世界のCO2排出を遅くとも20年までに減少に転じさせなくてはならない。厳しく見積もれば、先進国は温室効果ガスの排出を20年までに90年比で25〜40%減らすべきだという。

 今回の合意文書は、こうした見立てがあることに触れて、それに応えるように対策を急ぐ必要をうたった。科学者が20年間近くかけてまとめ上げた見方を議論の土台に置いたのは一歩前進だろう。

 だが、これらの数字を目標として明記することは、米国などの反対があってできなかった。科学者のメッセージを政治家の言葉にできなかったのである。残念といわざるをえない。

「米国など」の「など」を書いて欲しかったところですが,まぁ,読売新聞よりはまとも?

毎日新聞
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20071216k0000m070119000c.html

社説:温暖化バリ会議 小さな一歩を確実に進めよう

(前略)
 今回の会議では、日本の存在感が薄かったことも気にかかる。米国追従のイメージが強く、リーダーシップを発揮したとは言いがたい。議論の過程で示された具体的な数値目標についても、今後、どう対応していくのか、明確な戦略が必要だ。米国の政権交代による政策の変化も考慮しなくてはならない。

具体的な意見が何一つ書かれていない幼稚な文章なのですが,一部だけ取り出して読売新聞の文章と比べると至ってマトモに見えてしまうのが不思議です.

産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/life/environment/071216/env0712160322000-n1.htm

【主張】COP13閉幕 日本の「環境力」の出番だ

(前略)
 福田康夫首相は、安倍晋三前内閣がまとめた地球温暖化対策の戦略「美しい星50」を継承し、日本の「環境力」を重視する方針という。問題はその中身だ。日本は環境技術では世界のトップを行く。あらゆる分野の「環境力」を結集しなければならない。

毎日新聞の社説以上に意味が分かりません.日本の環境力ってなんなのでしょう.


市民団体AVAAZが日本,アメリカ,カナダを痛烈に批判して話題を呼びました.
http://www.avaaz.org/jp/bali_emergency/

この削減目標は、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)報告に基づく、気候危機を回避するのに必要な削減目標数値です。しかし、日本、アメリカ、カナダの3カ国はこの削減案を拒否、それに伴い他国も足踏み状態に陥っています。

この片意地を張った3カ国政府のせいで、地球の未来が滅ぼされるのは許されません。

英語版の方からは,こんなポスターにもリンクが張られています.
http://www.avaaz.org/en/bali_emergency/
AVAAZ.orgによる意見広告(JPG画像)
「YASUO FUKUDA(JAPAN),GEORGE BUSH(USA),STEPHEN HARPER(CANADA)」とクレジットされちゃってます.もっとも,ポスターの中の文章では,日本は一番最後です.

"We call urgently for the US, Canada and Japan to stop blocking serious 2020 targets for emissions reductions, and for the rest of the world to refuse to accept anything less."

それを,読売新聞は「なんとか成功したといっていいだろう」などと他人事のように.