一番良かった「理系白書:科学と非科学」

第一部最終回のこの記事,今までで一番面白いと思いました.
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/rikei/news/20070328ddm016070138000c.html

今まで,せっかく専門家を取材しておきながら,内容はWebからコピペしたかのような浅いものだったり,記事の中で誰の意見なのか分からない下手な文章の書き方があったのですが,今回は座談会ということで,参加者の意見がストレートに載せられています.

 −−「科学は絶対なのか」「追試をせずにニセと断定している」という読者の批判もあった。

 田崎 科学者は「科学は絶対だ」などとは思ってない。科学とは、世界を一生懸命見て理解しようとする営みだ。今の科学は高度化しているが、もとをただせば「山の向こうには何があるのか」というような問いと答えを積み重ねてきたもので、分かったことはごく一部。ただ、物の性質については非常によく分かっている。水が言葉の影響を受けるという話は、これまでの蓄積から「間違い」と言い切っていい。

 西尾 今の科学で「ほぼ確かだ」とされている事柄に矛盾することを主張する場合、主張する当人に立証責任がある。ただ、科学と非科学は、はっきりと二分されるものではなく、その間にグラデーションがある。

この発言のうち,西尾さんの発言の前半,「主張する当人に立証責任がある」というのは,カール・セーガン,マーチン・ガードナー,マイケル・シャーマーなどの啓蒙書で繰り返し述べられていることです.もっと具体的に,ウィリアム・スタイビングの著書では以下のように述べられています.
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4872334825?tag2=bakerajp-22

気まぐれで矛盾に満ちた話の内容には不釣合いなほど多大なお金と労力を,学者たちはすでに費やしてしまった.証明する責任があるのはモーリスとフォン・デニケンの方なのだ.

(デニケンは,「未来の記憶」で宇宙考古学ブームを巻き起こした人物です.下記参照)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4047912638/sr=1-2/qid=1175438553/ref=olp_product_details/503-8878692-2455925?ie=UTF8&qid=1175438553&sr=1-2&seller=
後半の「はっきりと二分されるものではなく,グラデーションがある」というのも,マーチン・ガードナーの「奇妙な論理」で,次のように述べられていることと同様の意見です.
http://www.amazon.co.jp/%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E8%AB%96%E7%90%86%E3%80%881%E3%80%89%E2%80%95%E3%81%A0%E3%81%BE%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%95%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3-%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/4150502722

ここでは実際には二種類の「連続体」が関係する.一つは,ある科学理論がどれほど証拠によってたしかめられるかという,実証の度合いである.この連続体の一方の端にはまちがっていることがほとんど確実な理論がある.
(中略)
最後に,連続体の反対の端に,正しいことがほとんど確実な理論がある.


「数学の本質は,論理的な思考能力だ」と以前の日記で書きましたが(本当に「寝だめは逆効果」か? - なぜか数学者にはワイン好きが多い,同様なことが毎日新聞の記事でも述べられています.

 −−ニセ科学が広がることの弊害は?

 田崎 エスカレートすると命にかかわる事態になったり、どうでもいいものに大金を払ったりということになり得る。

 西尾 科学的に考えられない人が増える。「スピリチュアルブーム」も同じで、何かに頼れば問題が解決するという価値観を植えつけてしまう。

 古田 論理的な考え方ができない人が一定以上いることの結果の一つが、ニセ科学の広がりではないか。

さて,特に面白いのは,一連の記事に寄せられたとする意見です.そのうちの一つは次のようなものです.

<「科学と非科学」に寄せられた主な反響>
 ・人間や動物にいい言葉をかけてほめるのと、悪い言葉でけなすのとでは、結果が違うのは明らか。「なぜ動物に伝わるのに水には伝わらないか」を証明しなければならない。

ほら,だから違うのです.「水に言葉が伝わらない」ことを証明する義務は科学者にはありません.「水に言葉が伝わる」と主張する人に,「水に言葉が伝わる」ことを証明する義務があるのです.カール・セーガンマイケル・シャーマーも言っています.並外れた主張には,並外れた証拠が必要である,と.田崎さんが「水が言葉の影響を受けるという話は、これまでの蓄積から『間違い』と言い切っていい」と上で述べているように,「水に言葉が伝わる」というのは科学者から見ると十分に並外れた,常識外の主張です.十分に納得がいくくらい,大量の証拠を提出してもらわないと,反証する必要があるとは感じられません.