プロコン

第1回 プロコンへようこそ | 日経 xTECH(クロステック)

皆さんは「プロコン」というイベントをご存じですか? プロコンは正式名称を「全国高等専門学校プログラミングコンテスト」と言い,全国にある高等専門学校(以下高専*1)の学生が年に一度集まって,プログラミングやソフトウエアの開発能力を競う,言わば情報系の甲子園のような大会です。
(中略)
筆者は,2002年から4年間にわたってこのプロコンに参加し,3回,最優秀賞にあたる賞をいただきました。

私も残念ながら賞は取れませんでしたが,こちらの記事の著者さんより遥かに昔に参加したことがあります.その時の記録がありますので,人名を仮名にした上でご紹介したいと思います.

1990年11月3日土曜日。高専祭からわずか一週間後。その日はやってきた。前日はピアドールだけ飲んで、早く寝た。電気を消して生徒を寝かせた後、T先生は深夜まで怪しいテレビを見ていた。(別にテレビの外見を眺めていたわけではない)
朝食は、本当は宿泊する予定だったペンション八瀬大原まで歩いていって食べた。スーツを着込むTとA。ビデオカメラを持つS。パンフレットを確認するT先生。優勝。98ノート。FMRカード。IBMパソコン。喜びの言葉。インタビュー。
うすら寒い朝、4人は燃えていた。
(中略)
審査結果発表である。
参加者全員が、あまり広くない一室に集められた。なんと、テレビ局のカメラのようなものまで設置されていた。緊張と興奮で、ほっぺたが熱くなっているのが分かる。審査員の講評が始まると、体が振動で揺れるほど、自分の心臓がドッキンドックンと鳴っている。頭がぼーっとしてくる。三位から発表が始まった。
三位か?釧路高専の名前は呼ばれなかった。二位か?違った。この二位と三位に最大のライバルと思っていた強敵校が入っていた。と、いうことは。もはや一位は我々しかいない。
その頃TとAが何を考えていたか 富士通のラップトップとNECのラップトップのどちらをもらうのが得をするか、どうしたらT先生に取られずにすむか
心臓の鼓動の大きさと速さが頂点に達した時 その名前は呼ばれた。
「審査の結果、優勝は 函館高専!」
なにい!
がらがらがら。
がらがらがら。
夢が崩れ落ちた。
「なお、特別賞として、参加者全員に、電子手帳を進呈します。」

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「はあ」
ため息が聞こえた。自分が発したのかもしれない。
「開催者からの粗品を受け取り次第、気をつけてお帰り下さい。」
粗品として、IBMのPostItやプロコン特製のテレカ、デジタル時計などがもらえた。緊張から解放された我々は、調子にのって何度も並んだ。Tは4回も並び、大量に粗品を得た。
そして今でも一枚未使用の第一回プロコンテレカを持っている

ロボコンは有名ですが,プロコンを知る人は少ないです.そして,釧路高専のチーム「ソフトウェア研究アカデミー」がプロコンの第一回に出場し,カシオやシャープの電子手帳をゲットしたことを知る人は,日本でも数人しか知らないことでしょう.

今でもテレカとIBMポストイットは未使用で持っています.